はじめること、やめること

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何かを新しく始める。

 

新しい習慣。

 

気持が高まり、ワクワクする。

 

だけど、少し待って欲しい。

その新しい習慣を取り入れるスペースが、

今のあなたにはありますか?

 

人には等しく24時間という限られた資源があります。

その中で、働いたり、食べたり、遊んだり、眠ったりします。

無意識のうちに大抵の行動はルーティーンとして

決まった行動(習慣)を取っています。

 

その決まった習慣達から、新しい習慣を取り入れる場合、

古い習慣と新しい習慣がケンカしてしまう恐れがあるのです。

 

たとえば、今までは家でゴロゴロする習慣があったのに、

今月から読書という新しい習慣を取り入れるとします。

 

もちろん、やりたいと感じたから読書という習慣を

選択したわけですが、ここでやっかいなのは、

ゴロゴロするという習慣がちょっかいをかけてくるという点です。

 

あなたがせっかく読書という習慣を取り入れようとしても、

長い間連れ添ってきたゴロゴロするという習慣が、

激しく主張をしてきます。

「ぼくもまぜておくれよ」

「新しい習慣もいいけど、ぼくも忘れないでおくれよ」

 

はっきりと断言します。

何か新しい習慣を始める場合、

代償として古い習慣を手放すことです。

 

時間という資源は限られています。

今までその限られた資源を100%使ってきたのに、

さらに新しい習慣を取り入れることは無理な話です。

時間が足りません。

 

ちなみにここでいう100%使ってきたという言葉は、

消費しているという意味も含みます。

 

生きているだけで、時間は消費されていきます。

有意義な時間を過ごそうが、

何をするわけでもなく、ただぼんやりと過ごしても、

時間はただ、消費されていきます。

 

 

新しい習慣と引き換えにあなたが差し出す代償は何ですか?

生産性の無い無意味な残業時間でしょうか。

セールという理由でいつ着るか分からない服を買ってしまうことでしょうか。

 

それとも、目的も無くぼんやりと眺めるTV時間でしょうか。

 

何にせよ、新しい何かを始める時には、

何かをやめなければいけません。

 

その新しい何かが大きければ大きいほど、

やめることも大きくすべきです。

 

何かを得るためには、何かを差し出さなければならない。

等価交換という法則です。

 

種をまかなければ花が咲かないように、

自然界でも通用する絶対的な原理原則なのではないでしょうか。

 

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